3月11日の日記

2013年3月11日 日常
3月11日の日記
3月11日の日記
球根を植えておいた、我が家のアネモネが
綺麗に咲き始めました♪


冬の間は庭が殺風景で、寂しかったんだけど、
スイセンも蕾を付けて、
チューリップは今年もいっぱい出始めました。


この週末はあったかかったもんね。
昨日の砂嵐には参ったけど!
今日もまだ風強い。
お迎え行くの、大変そうだわ。


写真下は、この間のお弁当。
マリオに出てくる、キノピオのつもりー。
かまぼこの頭に、食紅で赤いまるをつけたんだけど、
滲んでへんな形になったわ。
これをちゃんと、めんどくさがらないで、
別に何か赤いのを作ってまるく切り取って貼りつける、
のが正しいキャラ弁なのでしょう。


おけいこ袋サイズのものと、
上履き入れをなんとかミシンで作ってみたのよ。
有言実行!
でも、縫い目ガタガタだし、
なんか変・・・。


お弁当といい、袋といい、
そうちゃんごめんねー、ママこんなんでー!
と落ち込んで泣き真似したら、
「いーんだよ、いーんだよ!
 ママががんばってくれたんなら、
 ぼくはそれでいーんだよ!!」
と焦って抱きしめてくれた息子。
なんっていいやつなんだぁー!


じゃ、直さなくったっていっか・・・
と思ってしまった、ダメな母でした。


************************************


あと1時間で、あの地震の日時ちょうどになる。


2年も経ったのか、
2年しか経っていないのか、
それは人によって感じ方が違うのでしょうね。


あの瞬間、年少さんだったそうちゃんと手を繋ぎ、
まだ赤ちゃんだったみいちゃんをおんぶしていたのを
今でも強烈に覚えているので。
子供たちがこうして大きくなったのを目にすると
2年も経っちゃったのか・・・と私自身は思う。


あの日以来。
常に「なくなること」とか、
「終わること」について
気遣うようになったと思う。


もしこれが最後になるのだとしたら、
という感じで。
後悔しないようにしよう、といつも思ってる。
物に対しても、
人に対しても。


福島に住んでいる、大学時代の親友は、
放射線が子供に与える影響を恐れて県内の西に移り住み、
旦那さんは仕事があるので地元に残り。
別居が続く内に、私の知らない事情もあるだろうけど、
別の道をゆくという結末になった。


我が母の実家も福島なんだけど、
あれ以来一度も行けていない私。
私ひとりならともかく、
子供たちを連れていくにはどうしても抵抗がある。
テレビとかでは何の影響もないと、
野菜も空気も安全だと言うけれど、
原発から20キロ範囲内は人は住めないのでしょう。
空は繋がっていて、
雨だって同じ空に降るよね。


お墓に眠るおじいちゃん、おばあちゃんには申し訳ないけれど、
今はまだ、どうしても、
子供たちは連れて行けません。
自らの保身ばかりでごめんなさい。
もう大丈夫だよ、気にし過ぎだよと
みんな言うかもしれない。
(現に、福島の実家の方でもみんなそう言っている)
でも、本当にそうなのか。
そんなの、偉い人たちしか知らないことで、
一般の私達なんて誰も、
本当のことなんて知らないでしょう。


本当か嘘か、分からないものを
まあいっか、で済ますわけにはいかない。
批判も受けるかもしれないけれど、
みんな気にしていることだもん。
スーパーで野菜を手に取る時、
同じ野菜でもこちら、栃木や福島のものと
関西からきたものと、
どっちを取るか。
日々そういった場面で選択してしまっている。


幼い娘2人を遺して亡くなってしまった
大好きな優しい従兄のお兄ちゃん。
お兄ちゃんの歳を、越えてしまったよー私。
こんなにまだ若くて、元気で、
やりたいことも行きたいことも山ほどな歳でね。
お墓参りにも行けないなんて、ごめんね。


毎日いろいろあるけれど、
それでも明日に繋がる今日であって欲しい。
子供たちにも、そうであって欲しいな。

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